小学生時代の記憶は
寂しかったり
悲しかったり
切なかったり
そんな思い出しかない
ディズニーランドが出来た時に
1度だけ母と祖母と
行ったことがある
その後も祖母には1〜2回
連れて行ってもらったかな
そういう楽しかった思い出が
1つ2つあって
それが今でも鮮明に残ってるほど
私にとってキラキラで幸せな
唯一の思い出となっている
だけどほとんどは学校でのツライ体験や
家でのひたすら寂しい体験しか
私の中には残っていない
小学生の頃を思い出しても
寂しくて辛かった記憶しかないのだ
そんな子供時代だったから
夜も家ではほとんど一人
ある夜なんかは
お金も置いてなくて
食べ物も何もなく
手元にある全財産の100円を手に
近所のお店でサッポロ一番を買って
自分で作ったことがあった
今でも忘れないが
テレビで『あばれはっちゃく』を
やっていたので土曜日の夜だったと思う
世の中では週末で家族団欒してるであろう
そんな日の夜ご飯
出来上がったラーメンを
お鍋から器へ移す際に
鍋つかみ代わりにしていたボロ雑巾が
スルッと滑って
ラーメンの器の中にボトッと落ちた
台ふきんとかでなく
床か壁かを拭きまくってきたような
黒ずんでて半分ちぎれた
本当のボロ雑巾だったので
さすがにそれを食べる気にはなれず
半べそになり空腹に耐えた夜もあった・・・
当時、今のような子供食堂があったら
絶対行っていたと思う
当時は仲間はずれの経験から
内向的で友達もほとんどいなかったので
もちろん子供食堂に1人で行けるか?
学校の子は来てないか?とか
色々心配や不安になりながら
かなり警戒して行ったと思うが
当時そんな場所があったら
あんなひもじい思いはしなくて済んだだろう
兄弟もいなくて
ひとりっこだったから
夜はほぼひとりぼっち
ひいおばあちゃんも一緒に暮らしていたけれど
ほとんど毎晩パチンコに行ってしまうから
夜はひとりでテレビを見るくらいしか
やることも楽しみもない
だからよくやっていたのは
見えないお友達が横にいて
テレビを見ながら
話しかけたりする遊び
側から見たら
完全に”ひとりごと”
だけど私の中では
友達が横にいる
見えない親友がいる笑
見えない友達に話しかけることや
いつウチにはドラえもんがくるのだろう?と
そんな空想ばかりして
とにかく寂しさを紛らわせたり
現実逃避をしていた
もちろん、ひいおばあちゃんが
家にいてくれる時は
母親代わりとして
とても良く面倒を見てくれた
学校に行く前
朝は私の髪をといてくれて
私の学校ごっこにも
付き合ってくれた
私はそんな
ひいおばあちゃんが大好きだったけど
のび太君同様
ひとりっこのワガママで
おばあちゃんにはいっぱい
ワガママを言ったと思う
そんなひいおばあちゃんは
怒るととてつもなく怖くて
怒ると決まってやることがあった
包丁を持ち出して
包丁を私に向けて
鬼の形相でこう叫ぶ
「あんたを殺して私も死ぬ!」
今でも脳裏に焼き付いてるくらい
本当に鬼の形相で
包丁をまっすぐ子供の私に向け
こう叫ぶ
”やばっ・・・”
と子供ながらに恐怖を感じつつも
笑ってごまかしながら
「ごめん、ごめんって!」
と毎回どうにかなだめて切り抜けた
あのやりとりは
今でも忘れないw
怒ると怖いおばあちゃんだったけど
家族が少ない家系で
たった一人のひ孫の私を
本当に可愛がってくれたと思う
学校ごっこもだけど
私の色々なお願いを聞いてくれた
サザエさんのような
平凡な家族に憧れていた私は
おやつやお夜食とかで
「おやつよ~」って
親がケーキを持ってきてくれるやつに
それはそれは憧れて
ある時自分でケーキを買ってきて
ひいおばあちゃんに頼んだ事がある
「これから勉強するから
一時間したら”おやつよ~”って言って
コレ持ってきて!」
自分の部屋もないから
1DKの部屋をその間だけ仕切って
机に向かって勉強をする
すると一時間後におばあちゃんが約束通り
「おやつだよ」と言って持ってくる
私は
「えー!なになにぃ!!!なんのおやつだろ♫」
と小芝居をして
「わぁ~ケーキだぁ!!」と
自分で買ったケーキに対して喜ぶw
「あんた自分で買ったケーキじゃないかい」
と冷静なおばあちゃんのツッコミを受けながらも
そんなことにも付き合ってくれる
優しいひいおばあちゃんだった
80過ぎていたのに
週4~5日は
23時過ぎまでパチンコで
帰ってくるのは24時
たまに24時をすぎても帰ってこなくて
その度に私に心配ばかりかけた
そんなひいおばあちゃんだったけれど
私にとってたった一人の
本当の家族だった
気を使わず自分を出せる
この世で唯一の人だった
きっと誰よりも
私の味方だったんだろうと今思う
寂しかったり
悲しかったり
切なかったり
そんな思い出しかない
ディズニーランドが出来た時に
1度だけ母と祖母と
行ったことがある
その後も祖母には1〜2回
連れて行ってもらったかな
そういう楽しかった思い出が
1つ2つあって
それが今でも鮮明に残ってるほど
私にとってキラキラで幸せな
唯一の思い出となっている
だけどほとんどは学校でのツライ体験や
家でのひたすら寂しい体験しか
私の中には残っていない
小学生の頃を思い出しても
寂しくて辛かった記憶しかないのだ
そんな子供時代だったから
夜も家ではほとんど一人
ある夜なんかは
お金も置いてなくて
食べ物も何もなく
手元にある全財産の100円を手に
近所のお店でサッポロ一番を買って
自分で作ったことがあった
今でも忘れないが
テレビで『あばれはっちゃく』を
やっていたので土曜日の夜だったと思う
世の中では週末で家族団欒してるであろう
そんな日の夜ご飯
出来上がったラーメンを
お鍋から器へ移す際に
鍋つかみ代わりにしていたボロ雑巾が
スルッと滑って
ラーメンの器の中にボトッと落ちた
台ふきんとかでなく
床か壁かを拭きまくってきたような
黒ずんでて半分ちぎれた
本当のボロ雑巾だったので
さすがにそれを食べる気にはなれず
半べそになり空腹に耐えた夜もあった・・・
当時、今のような子供食堂があったら
絶対行っていたと思う
当時は仲間はずれの経験から
内向的で友達もほとんどいなかったので
もちろん子供食堂に1人で行けるか?
学校の子は来てないか?とか
色々心配や不安になりながら
かなり警戒して行ったと思うが
当時そんな場所があったら
あんなひもじい思いはしなくて済んだだろう
兄弟もいなくて
ひとりっこだったから
夜はほぼひとりぼっち
ひいおばあちゃんも一緒に暮らしていたけれど
ほとんど毎晩パチンコに行ってしまうから
夜はひとりでテレビを見るくらいしか
やることも楽しみもない
だからよくやっていたのは
見えないお友達が横にいて
テレビを見ながら
話しかけたりする遊び
側から見たら
完全に”ひとりごと”
だけど私の中では
友達が横にいる
見えない親友がいる笑
見えない友達に話しかけることや
いつウチにはドラえもんがくるのだろう?と
そんな空想ばかりして
とにかく寂しさを紛らわせたり
現実逃避をしていた
もちろん、ひいおばあちゃんが
家にいてくれる時は
母親代わりとして
とても良く面倒を見てくれた
学校に行く前
朝は私の髪をといてくれて
私の学校ごっこにも
付き合ってくれた
私はそんな
ひいおばあちゃんが大好きだったけど
のび太君同様
ひとりっこのワガママで
おばあちゃんにはいっぱい
ワガママを言ったと思う
そんなひいおばあちゃんは
怒るととてつもなく怖くて
怒ると決まってやることがあった
包丁を持ち出して
包丁を私に向けて
鬼の形相でこう叫ぶ
「あんたを殺して私も死ぬ!」
今でも脳裏に焼き付いてるくらい
本当に鬼の形相で
包丁をまっすぐ子供の私に向け
こう叫ぶ
”やばっ・・・”
と子供ながらに恐怖を感じつつも
笑ってごまかしながら
「ごめん、ごめんって!」
と毎回どうにかなだめて切り抜けた
あのやりとりは
今でも忘れないw
怒ると怖いおばあちゃんだったけど
家族が少ない家系で
たった一人のひ孫の私を
本当に可愛がってくれたと思う
学校ごっこもだけど
私の色々なお願いを聞いてくれた
サザエさんのような
平凡な家族に憧れていた私は
おやつやお夜食とかで
「おやつよ~」って
親がケーキを持ってきてくれるやつに
それはそれは憧れて
ある時自分でケーキを買ってきて
ひいおばあちゃんに頼んだ事がある
「これから勉強するから
一時間したら”おやつよ~”って言って
コレ持ってきて!」
自分の部屋もないから
1DKの部屋をその間だけ仕切って
机に向かって勉強をする
すると一時間後におばあちゃんが約束通り
「おやつだよ」と言って持ってくる
私は
「えー!なになにぃ!!!なんのおやつだろ♫」
と小芝居をして
「わぁ~ケーキだぁ!!」と
自分で買ったケーキに対して喜ぶw
「あんた自分で買ったケーキじゃないかい」
と冷静なおばあちゃんのツッコミを受けながらも
そんなことにも付き合ってくれる
優しいひいおばあちゃんだった
80過ぎていたのに
週4~5日は
23時過ぎまでパチンコで
帰ってくるのは24時
たまに24時をすぎても帰ってこなくて
その度に私に心配ばかりかけた
そんなひいおばあちゃんだったけれど
私にとってたった一人の
本当の家族だった
気を使わず自分を出せる
この世で唯一の人だった
きっと誰よりも
私の味方だったんだろうと今思う