子ども時代は
とにかく寂しくて
クリスマス
大晦日
お正月
誕生日
と、普通の家族が
みんなで過ごすような
行事やイベントは
必ずと言っていいほど
ひとりぼっちだった
ひいおばあちゃんは
元旦早々パチンコに行くので
ひとりでお正月番組を見て
ひとりで過ごす
だから、おせち料理なんてものを
実物で生で初めて見たのは
結婚してから旦那さんの実家で見た
26歳をすぎてから
家族の団らんが憧れで
みんなで食べるご飯が憧れで
帰ったら誰かが「おかえり!」
って言ってくれるのが憧れで
クリスマスを誰かと一緒に過ごすのが憧れで
除夜の鐘を
誰かが一緒に聞いてくれるのが憧れで
家族でのんびりお正月を過ごすのが憧れで
誕生日は誰かが「おめでとう」って
お祝いしてくれるのが憧れで
そんな普通の憧れが
私にはたくさんたくさんあった
そんなとにかく寂しかっただけの
小学校生活も卒業を迎え
卒業式当日
いつも見守ってくれた担任の先生から
手紙と一緒にプレゼントを頂いた
中に入っていたのは
”カメオのブローチ”
子供の私には
品がありすぎるくらいの
素敵なプレゼントだった
先生に卒業式後呼び出されて
プレゼントをもらったのは
私ともうひとりの2人だけ
私よりもイジメにあってた女の子と
私の2人
やっぱり私は贔屓されていたんだと思う
その理由は
孤独な家庭環境だったから。。。
そんな私への
先生なりの愛情だったのだと思う
そのカメオのブローチは
今でも宝物として大切にしている
引っ越しを24回し
小学校も中学校も
卒業アルバムは何一つ持ってないけど
そのブローチだけは
今まで大切にしてきた宝物だ
息子たちの卒業式の朝
それを胸につけた時は
先生を思い出して
とても心が温かくなった
そんな小学校を卒業し
私も中学に入学する
慣れない中でも
新しい友達ができたり
まぁまぁそこそこ普通に過ごした中学一年
そして中2になった時
それまでには居なかった友達と出会う
親が離婚している子
今では親の離婚などよくある話だが
30年前のその頃は
親が離婚しているなんて
クラスにせいぜい1人くらい
だから小学校のときからよく
「なんでお父さん居ないの?」と
クラスメイトからも
友達の親からさえも
不思議そうに聞かれたものだった
その度に私は
「出張に行ってるの」と
何のひねりもない嘘をついていた
今思うと
バカ正直なはずの私が
なぜそんな嘘をついていたのだろう?と
自分でも不思議に思うが
少なからずこの頃は
悟られたくない
可哀想と思われたくない
差別されたくない
という、子どもなりのプライドが
何かあったのだと思う
とにかくそんな時代だったから
親が離婚し
しかも母親が水商売をしているという
同じ境遇の彼女との出会いは
お互い運命すら感じた
私たちはすぐに意気投合し
仲良くなった
彼女も私も母子家庭で一人っ子という
そんな寂しい環境で育ち
しかも母親が
極度のヒステリックという
共通点だらけの境遇が
私たちを一気に仲良くさせた
孤独感や人生の悲壮感など
心の闇も一緒
そんな私たちが
いつも二人で決まって言うセリフ
「人生って疲れるよね・・・やってらんない」
そんな風にたかが13歳位で
人生に疲れた二人が一緒に居れば
やる事はだいたい決まってくる
タバコ・夜遊び・万引き・・・
お互い門限もない家庭
夜何時に帰ろうと誰も居ないし
誰も怒らない
まぁ、タバコって言っても
最初はまともに吸えないから
カッコつけて吹かしてるだけなのだけどw
別に学校で荒れるわけでもないし
見るからに不良というわけでも
逆に地味でもなかったが
髪を明るくし
タバコを吸い
悪そうなことをやり始めた
そんな中学2年だった