第7回 波乱だった過去・7(寂しい小学校)


学校では

仲間外れ、ぼっち



家でも

いつもひとりぼっち







そんな

寂しい思い出しかない

小学校時代



当時は登校拒否という言葉はあったけれど

不登校という言葉はなくて

学校は行くもの!という風潮だった







もしタイムマシンで戻れたら



「学校休んでも全然大丈夫なんだよ!」



って自分に言いに行くと思う




だけどそんな私を

学校に行く気にさせてたのは

他でもない5〜6年生の時の

担任の先生のお陰





50代くらいのおじさん先生で

私を仲間外れにしてたスレた女子たちは

みんな嫌って悪口ばかり言っていたけれど


表面には出さない優しさを持っている

そんな担任の先生だった







いつも落ち着いていて

目が鋭くて

ちょっと怖そうなんだけど



目の奥に温かい何かがあるような

そんな先生





そして私は多分

こっそりヒイキされていたと思う


なぜなら

片親でいじめられっ子だったから





そんな先生の人柄の良さを感じたのは

家庭訪問





水商売をしていた母


学校の行事や家庭訪問なんかは本当に大嫌いで
授業参観も入学してすぐの1年生の時に

たった1度きり来ただけで
それ以降は卒業式まで一切来たことなかった



もちろん運動会だって

一度も観に来てくれたことはない



だから学校の行事なんて好きじゃなかったし

そもそも誰も見に来てくれるわけじゃないから

やり甲斐も頑張ろうとも思えない



私にとっては

本当にシンドイ義務感満載のものだった









特に運動会は

面倒くさいだけじゃなく

ツライものと化していて


お昼のお弁当の時間なんかは

普通みんなが家族と一緒に校庭で

レジャーシートで食べるのに



私の場合誰もいないから

声をかけてくれる誰かの家族に

ひとりお邪魔して食べる







他の家族のレジャーシートに

ちょこんとお邪魔して

小学生ながら申し訳ない気持ちと

惨めな情けない気持ちとが入り混じる







みんな誰かしら家族が来てて

大きなお弁当を広げて

家族でワイワイ食べている





「さっきのかけっこ凄かったね!!

写真撮ったよ〜!」



なんて親が笑顔で話してる

そんな団欒な会話を横目に

私はひとり用の

おばあちゃんが作ってくれた

お弁当を食べるのだ






かけっこを頑張ろうと

組体操を頑張ろうと
写真を撮ってくれる人も

応援してくれる人も居やしない





だ〜〜れも見ちゃいないけど

ただ頑張る





そんな運動会が大嫌いでならなかった







授業参観だって

張り切って手を挙げても

誰も見てくれる人も居ないし



私の創作物だって誰も見ちゃいない



そんな学校生活だった




何も見に来やしないそんな母だから

家庭訪問も義務感でこなす感じだった











先生がウチに来て

家庭訪問が始まってすぐ
先生は母に職業を聞いて来た





母が愛想笑いで水商売だと告げると

今度は先生は


「パブとスナックの違いってなんですか?
僕には全然わからなくて笑」



と私の事よりも
そんな話を始めたのだ



母は笑いながらその違いを話し
和んだところで私の話が始まった







先生が帰ったあと
母も「良い先生だね」と
すっかり先生を気に入っていた


きっと、水商売ということを差別することなく

むしろ色々質問してきてくれた先生の気遣いに
感動したのだと思う





そんな先生は後にも先にも

他にはいなかったから




特別何か守ってくれたりするわけじゃないけど
いつも陰ながら見守ってくれてる気がする

そんな先生だった







そんな担任の先生がいたから

私は仲間はずれでも
ひとりぼっちでも

きっと登校ができた