第67回

波瀾だった過去67 生活保護

紀子の自殺は私の心に
自覚できない何かを残した


ある日
千葉の鴨川に営業に行った時
車を運転しながら
訳もなく涙がこぼれた




特別何かを考えていたわけでも
紀子のことを考えていたわけでもないのに
ただ訳もなく涙が溢れる





営業を終えて
海に寄り道してみる




”なんで生きてるんだろ・・・”




そんな漠然としたことを
ただボーッと考えてみる




何が悲しいわけでもないし
何がつらいわけでもない

ただ心が空虚な感じというか
言葉にならない不思議な感情が
涙を溢れさせる





レゲエ仲間とCLUBに行けば楽しいし
子どもたちと遊ぶのも楽しいし
仕事も何も不満はないし
お金もどうにかやっていってる


なのに
ふとした時に
えも言えぬ寂しい気持ちになり
死にたくなる


涙が溢れ出す





通勤で電車をホームで待っていても
仕事で車を運転してても

ふと気づくと
涙が頰をつたっている





この頃はミクシィが盛んで
今では考えられないくらい
私はミクシィで弱音を吐いていた笑



なぜだか涙が止まらないことを書いたある日
自衛隊で看護士をしてる
レゲエ仲間の男の子の友達から



「さおりん、一度お医者さん行ってごらん」


と言われた



それまで自分は単なる弱い人間だと
心底思っていたから
お医者さん?!と

考えてもみなかったことを言われ
一瞬戸惑った



だけどその言葉が
その時なんとも言えない
救いの言葉にも感じたのだ



他のどんな励ましや慰めよりも
すごく響いた言葉だった




あまりに毎日予期せぬ時に涙が出るので
思い切って地元で人気がありそうな
心療内科に行ってみた




「鬱ですね」



全く自覚がなかった鬱という症状


自分がそこまで落ちていたことに
自分でもびっくりした





母に渡すお金の不安や
お金だけの愛人契約
そして紀子の死と

いつのまにか
私は自分をそこまで
追い込んでいたのだった





お医者様からは
薬が処方されたが
私はそれを飲む気にはなれなかった



だけど
心が何もできず
何も意欲が湧かず
ただボーッとする時が増え
ただただ涙が出る時が増え続ける





私はいつのまにか
仕事もできない状態になり始めていた



その頃社長さんも身体を壊され
入院も増えたことから
東京の私に指示をできる人もいなくなり
私はそれを気に退職をした




”もうダメだ・・・”


収入はおじいさんと会った時に
渡されるお金のみ


退職し母に子守に来てもらう必要もなくなり
私は母にもうバイトはいらないと伝え
これからのことを考え始めた




10万円を超える家賃を
鬱の状態で仕事もせずに
支払える自信も術も全くなく
私は区の福祉事務所を訪ねた



「シングルマザーの母子寮に入りたいんです」



区で運営してる
シングルマザーが格安で住める寮に住むしかないと
私は福祉事務所に相談に行った


早速案内され見学に




グループホーム的な受付と建物で
部屋は10畳くらいありそうな和室


外出時は掲示灯をつけたりと
本当にそこは寮だった



門限もあり
外出するときや外泊するときは
申請をする


子供たちが学校のあと居られる
児童館のような部屋もある




今までのように
自由に子供たちと出かけたり
誰かに遊びに連れてってもらったり
誰かが遊びに来てくれたりはできなくなる


部屋に入れられるのは親まで
という決まりがあり
しょっちゅう来てくれてたお婆ちゃんもこれなくなる


唯一の発散だった
レゲエ仲間とのCLUBや野外でのイベントは
当然だが行けなくなる



それでも私は月に28000円で住めるという
その条件にすがるように
申し込みをすることにした



今空いているのは2部屋で
申込は私を入れて3組とのこと




すると福祉事務所の人は私に

「沙織さんはウツ病なだけですよね?
DVから逃げてるわけでも
お子さんを虐待してしまうわけでもないし
ちゃんと子育てはできていて
金銭的なことが問題なんですもんね。
それなら生活保護を受けてみたらどうかしら?
診断も出てるから下りると思うの」



考えてもみなかった生活保護という言葉



相談員の方がいうには
母子寮は色々な訳ありの方が多く
他に申し込みをしてるママさんもそういう人だという



沙織さんなら生活保護を受けた方がいいと思う
という言葉に
私はその場ですぐに生活保護の申請に切り替え
その人に相談に乗ってもらった



診断をしてもらったお医者さんに問い合わせられ
私が鬱である確証が取れると
その人はなるべく早くと
手続きを進めてくれた




そして数週間後には
生活保護が認められ
私は国に助けられながら生きることとなった



”とりあえずこれでしばらく生きてはいける・・・”
という安心感は計り知れなかったが
同時に
”ここまで堕ちてしまった・・・”
という情けなさが私を襲った




もちろん色々な考えがあると思うが
私はやっぱり
あんな生い立ちだったから
人並みに普通に生きていくことに
強い憧れがあったし
人並みに普通に生きていけないなら
死んだ方がマシだという考えに
変わりはなかったからだ




幼い子どもを抱えながら
生活保護を受ける自分に
更なる情けなさと
自己無価値感を感じ始め
私の心はどんどん病んでいく