波瀾だった過去・47(父との再会)
喧嘩は多いが
基本、私に対して無関心なので
ある意味自由が多い結婚生活でもあった
夜型の私にとって
夜何時まで起きてても
何も言われない
そういう意味では楽でもあった
そんな7月の夜
突然の破水が起き
深夜に病院へ向った私は
早朝、無事に長男を出産した
そんな旦那さんでも
私が熱烈にお願いした立ち会い出産はしてくれて
さすがの旦那さんも感動していた
唯一の家族であるおばあちゃんも
一晩中付き添ってくれて
私にとってかけがえのない
家族が産まれたのだ
数年前
『この痛みに耐えれたのだから
これからどんなことも乗り越え生きていこう』
と、自分への戒めのために
両腕に刺青を入れたけれど
その何百倍も
出産の方が痛かった・・・
というオチも出来た瞬間だった笑
そんな待望の赤ちゃんが生まれ
旦那さんのご両親が九州から出て来た
親兄弟の居ない私の産後のサポートにと
お義母さんが一ヶ月泊まりこみで
身の回りのお世話をしてくれることとなった
私にとっては
それが本当に何よりも救いだった
近所に住むおばあちゃんは
毎週会いに来てくれるけれど
もう70代後半
私の母は相変わらずで
自分の孫でもある赤ちゃんが産まれても
会いに来るどころか
”おめでとう”の連絡すら無かった
だから、身の回りの家事をしに
お義母さんが1ヶ月間ずっと居てくれたことは
本当に感謝でならなかった
同じマンションに
旦那さんの双子のお兄さんが住んでいて
お子さんがいないご夫婦だったこともあり
とても親身になって長男のお世話をしてくれたり
兄弟の居ない私の話し相手にもなってくれたり
それも大きなサポートになっていた
だけど、どこか大きな淋しさが私の中にある
旦那さんのご両親は遠い九州
私の母親は可愛がってくれるどころか
連絡すらしてこない
”この子にとって可愛がってくれる
おじいちゃんおばあちゃんが
私の祖母であるひいばあちゃんくらいしか
近くにいない・・・”
そう感じた私は、思いきって
幼い頃に別れた父に連絡を取ることにした
実の父とは20歳の頃に一度だけ
再会したことがあった
このブログでは飛ばしてしまった出来事だけど
20歳の時に初めて一人暮らしをする際
親の保証人が必要だということで
高校入学時に父から送られてきた手紙の住所を頼りに
会いに行ってお願いしたことがあったのだ
その時、父は厚木の方に住んでいて
車を持ってるキャバの後輩に連れてってもらったのだが
「どっちが沙織だ?」
との第一声に
15年ぶりに会う緊張が溶けたどころか
顔も覚えてないんだという父の言葉に
えらいショックを受けたのだった
そんな父だったが
子どもにとってはおじいちゃんでもある
”可愛がってくれる身内が
近くにほとんどいないこの子に
ひとりでも多く身内がいたら・・・”
そんな想いで
私は結婚したこと
長男が産まれたことを
手紙にしたため父に送った
そして数日後
喜びに溢れた明るい声で
父から電話がかかってきた
「沙織!手紙ありがとう!
いやーー、本当に嬉しかったよ!!!」
そんな風に言われて嬉しかったのは
私の方だった
そして、すぐにでも会いに行く!と
翌週、父が会いに来てくれた
結婚のお祝いだと言って
10万円を包んだ袋まで持って
20歳の時に再会した
素っ気ない何の感動もない父とは
まるで別人のように
私との再会
私の結婚
孫の誕生に喜んでくれた
そして父は、この数年の出来事や
自分の家族環境などを色々話してくれた
「今度、ウチに遊びにおいで!
妹や弟もいるぞ!」
嬉しい申し出だったが
後妻の人が嫌がるだろうと
私は遠慮した
「そんな奥さんじゃないから!
実家みたいなもんだろう、来いよ!」
旦那さんも
「いいお父さんじゃん!」と
父と会ったこと
父の人柄に感動していた
後妻の人が大丈夫なのか??と
不安があったが
それまで”実家”というものがなく
実家に大きな憧れのあった私は
その言葉を信じることにした
後に、この父との再会が
大きな心の傷になるなんて
知る由もなく・・・