波瀾だった過去・14(薬物依存とヤクザ屋さん)
- 自殺未遂をしてからのその後しばらくのことは
あまり記憶にない。
ただ、裏切られた友達とは縁を切り、
夜はホステスとして働き、
深夜~午前中にかけて違法ギャンブル店で何時間も遊ぶ、
そしてお休みの日は彼と集会に出るか
彼と一晩中ドラッグをして過ごし、たまに後輩と遊ぶ。
そんな生活をしばらく続けていたと記憶している。
この頃の記憶は前後がなく、
断片的にシーンとしてだけ覚えている感じ。
なぜなら、自殺未遂の後から
更なる薬物依存になってしまったからだ。
当時の私はシンナーとスピードが好きで、
私にとって薬物はかっこつけとか肉体的な依存ではなく
100%精神的な依存だった。
それをしている間はツラい事・淋しい事から逃れられる、
死ねない私のたったひとつの現実逃避のツールだった。
「人間は簡単に死ねないのよ」
助かった時そう言われたものの、
「でも私は死にたいんだ・・・」という想い。
「私が死んだって誰も悲しまない」
「私は生きてる価値がない」
そんな事しか考えられなかった。
当時働いていたお店は、
16の時に働いていたキャバクラのスタッフが経営する
小さめのママも居るお店だった。
もちろんココも来るお客さんはヤクザ屋さんか
正体不明な方がほとんど。
ある時なんかはお金持ちのおじいちゃんが、
地元では有名なヤクザの幹部の人たちを引き連れて
やって来たことがある。
おじいちゃんの方が幹部の人たちに
連れて来られてたのかな(笑)
おじいちゃんの席に着いた私は、
そのおじいちゃんに少し気に入られたようだった。
そして「君はその服以外に持ってないのかね?」と
可哀想な目で話してきた。
17の当時の私は、
洋服に3980円以上はかけた事がないほど
お金の面でも自分に愛情をかけるなんてことはなかった。
だから、きっとホステスとしては
本当にチープな雰囲気を醸し出してたのかもしれない。
「またお店に来るから、これで服を買ってきなさい」
そう言っておじいちゃんは20万円を私に差し出した。
当時の私には最高に大金。
「いえ、受け取れません!」
そう遠慮し拒否する私におじいちゃんは
「良いから、これで買って来なさい」と引かない。
そのおじいちゃんはママのお客様。
「お前、もらうのか?!」と言わんばかりに、
ヤンキーオーラ満載のママが私を鋭い目で睨んでいる笑
「大丈夫です、本当に!自分で服買ってきますから!」
そう言う私に、その中でも一番名の知れた
今でも有名な幹部のヤクザ屋さんが
「良いから、受け取ってくれ。俺からもお願いだ」と
小娘の私に頭を下げてきて私の手に20万円を握らせた。
おじいちゃんを囲み
色々な組の10人近くは居る
幹部クラスのヤクザ屋さんたちの視線が
一気に私に集まる。
そんな状況でヤクザ屋さんに頭を下げられ
引くに引けなくなった私は、
「ママの事は気にしない!!」と自分に言い聞かせながら
そのお金を頂いた。
帰り道、落とさないように両手で胸に抱えて
大事に帰ったのは言うまでもない。
そして同じお店に、同じホステスで3~4つ年上の
ひとり可愛がってくれたお姉さんがいた。
その人は17の私を可愛がってくれて
その人の彼氏(もちろんヤクザ屋さん)と
そのお友達(もちろんヤクザ屋さん)の4人で
お店の後よく焼き肉に連れてってくれた。
この彼氏のお友達の方のお兄さん(Yさん)
というヤクザ屋さんは当時28歳で、
私を妹のように可愛がってくれた。
「美味しい~~~!ここの焼き肉美味しいですね!」
という私に、そのお兄さんお姉さんの3人は苦笑いし、
Yさんは「もっと旨いとこ連れてってやるからな」と
優しく笑顔で言ってくれる、兄弟も居ない私にとって
当時はたったひとりの大きな存在だった。
ある時、4人でいつものように焼き肉を食べていたら
ひどく酔っぱらったオジさんが
テーブルでひとり大声を出し
怒鳴り散らしていたことがあった。
お店の人も困っていて、
みんなが見ているけど怖くて声もかけられない感じ。
何か怖いな・・・と思いながらも食べていた時
そのオジさんは大声で怒鳴りながらお手洗いに行った。
そしてその後Yさんも普通にお手洗いに席を立った。
しばらくして、何事もなかったかのように
Yさんは普通にお手洗いから戻って来て、
優しく微笑みながら私に言った。
「もう大丈夫だから、怖くないからな」
何をして来たのかはあえて怖くて聞けなかったけれど、
お店の中、みんなの前でオジさんに
文句を言ったり喧嘩をしたりする訳ではなく、
誰にも気付かれないように事を片付けるYさんが
当時の私には正義に思えるほど、
とても大人のカッコいいお兄ちゃんに思えた。
家ではいつもひとりぼっちで、兄弟もいない私には
そんな頼もしく優しいお兄ちゃんが出来た事が
とにかく嬉しかった。
ヤクザ屋さんでも、心の広い優しい人が居るんだ・・・
そう思ったのだ。
ある時、Yさんに会いに昼間新宿に行ったことがあった。
前の夜にやった薬物が抜けきらない状態で
私は新宿まで会いに行った。
一緒に歌舞伎町を歩きながらYさんは私を見て
「お前、何かやってるか?」と聞いて来た。
黙って頷く私に、「今持ってるのか?」と。
そしてYさんは近くのドーナツショップから
小さな箱をもらってきて、私のバッグからクスリを出し
その箱に入れて持たせてくれた。
「歌舞伎でお前みたいのが居たら捕まるぞ、
そんなの持ち歩くな!とりあえず今日はこれに入れて持ってろ。
これなら怪しまれないから。」
と、私の身を案じてくれたのだ。
今の私が考えると、
それが正しい形だとは決して思えないけれど、
当時の私には「唯一私を心配してくれるただひとりの人」
だったのだ。
その後、この日は当番だというYさんの組の事務所に行き
オセロをしたり麻雀を教えてもらったり
一緒にテレビを見て遊んでくれた。
たかだかオセロでも、一緒にテレビを見るのでも、
その頃の私には、それが人の温かさを感じる
「愛情」を感じる行為だった。
『この人には私のことが見えている・・・』
それがとっても暖かくて、嬉しくてたまらなかった。