私の車いすの「原体験」
車いすは、乗る人だけでなく「押す人」にも、体力的・精神的な苦痛があります。 私の弟は、小児麻痺による身体障害者でした。13歳で彼が亡くなるまで、車いすを押すのは私の役割でした。
いくら乗っているのが子供でも、車いすの操縦は大変でした。(当時10歳)
弟と一緒に原っぱを歩きたい。でも、舗装されていない道で車いすを押すのは、生半可な力では到底及びません。前に進みたくても進めない。本当に大変でした。
サラリーマン時代の経験
そんな経験から「何とか車いすが便利にならないものか」と常々考えていた中で、「こうすれば楽に車いすを動かすことができるのでは」という、あるアイデアを思いつきました。
ただ、当時私は車いすとは全く縁のないサラリーマンをしておりましたし、行動に移すまでには至っていませんでした。
「東日本大震災」の報道がきっかけに。
あるとき、新聞で読んだ記事の見出しにこうありました。
「車いすの母 津波に」
東日本大震災では、多くの車いす利用者の方が津波で亡くなっていたという事実を知りました。
そしてこう思ったのです。
「もっと早く作っていれば、この人たちも助かったのではないか。」
車いすや寝たきりの方で、避難できなかった方がたくさんいらっしゃったと思います。
自分のアイデアで助かる命があるかもしれない。
そう思ったら自分の使命のような気持ちになり、脱サラをして2014年にJINRIKIを立ち上げました。