工藤成美さん

特定非営利活動法人ナルミーランド
理事長 工藤成美

1990年1月生まれ、宮崎県延岡市出身のアジア系のクオーター。
7歳から原因の分からない生きづらさを抱えるも、周囲から「わがままな子」と烙印を押され続け、うつを発症。
中学時代、悪質ないじめ・集団暴行・国際差別を受けたことを機に、自分の安心できる居場所を求め、薬物・シンナー・アルコール・恋愛依存・窃盗症・刺青・売春を繰り返す。
その後、社会人になるも、統合失調症、双極性障害の診断・日常生活に支障をきたすほどの強迫性障害、摂食障害の症状・自傷行為・自殺未遂・精神科閉鎖病棟入院・・その他様々な経験し、排泄行為もままならないほどの植物状態の重度のうつに陥り絶望的な日々を過ごす。
24歳、広汎性発達障害(アスペルガー症候群)の診断を受け、生きづらさの根本的原因を解決する。
同時に、自分の考え方の癖や決まり・常識が自責の念に陥らせていたことに気付き、自分の人生ならば自分が主人公であるように、自身を愛してあげようと決める。うつ病を治すのではなく、「共に付き合っていく」と考え方を変え、「頑張らない」ことにし、過去の自分も今の自分も許してあげることで徐々に症状が回復。
現在は、心身共に状態は良好。約20年間のうつ病を乗り越えた今、闘病時、「生きてるだけでいい」と身近で無条件に心から寄り添ってくれる人がいなかったこと、必要な時に高額なカウンセリング料を支払うことができなかったことをきっかけに、当時の私のように悩み苦しむ方々へメッセージを伝えていきたいと感じ、心理学を学び、2016年から個人で任意団体を立ち上げ、無料相談活動を始める。

また、精神障害を抱えている方々に限ることなく、耳が聴こえない・しゃべれない方々の心の悩み相談もお受けできるように、生まれつき耳の聴こえない聴覚障害者の講師から手話を約2年以上教わり、実際の社会生活の中で活かせる様々なコミュニケーション方法を学ぶ。

2018年に特定非営利活動法人(NPO法人)を経て、現在は、精神科医を目指して、日々学びの日々を送っている。あくせくしない時間の中で大自然や人と触れ合い、心の自立を目指す、シェアハウスのような社会復帰支援施設ナルミーランドを地元宮崎県延岡市に創設することを目標としている。

保持資格ホームヘルパー2級 (介護施設での実務経験約2年)食品衛生責任者、うつ病アドバイザー、行動心理士、青少年ケアストレスカウンセラー、高齢者ケアストレスカウンセラー、企業中間管理職ケアストレスカウンセラー、上級心理カウンセラー、ピアカウンセラー、発達障害コミュニケーション初級指導者、心理カウンセリング1級、コーチング1級、医療事務管理士、調剤事務管理士、その他多数

快復までの道のり
---目次---
1.闘病生活のはじまり
2.居場所を求めた思春期
3.迷惑をかけないように必死だったあの頃
4.自分を正当化していた強迫観念
5.心のクリニックの受診
6.生きづらさの限界・自殺未遂と自傷行為
7.どん底から視野が広がったきっかけ
8.頑張らなくても生きていていい
9.シェアハウスのような社会復帰支援施設ナルミーランド

--------代表の詳細な生い立ちについては、(こちら)
【1.闘病生活のはじまり】
幼い頃から「いい子だね」「お利口さんだね」と言われて育ち、「自分はいい子でお利口さんじゃないと駄目なんだ」と自然に思うようになりました。
「いい子」でいることに疲れ感情が爆発してしまうと、今度は「わがままな子」「問題児」という評価に変わりました。
「やっぱり自分は『いい子』でいなくてはいけない」「いい子でお利口だから、周りは自分を愛してくれるのだ」でもそれを努めるのは大変なストレスでした。
「いい子」で「お利口」でいることに息苦しさを感じ始め、次第に「いい子」で「お利口」な自分に脅し続けられるような感覚に陥りました。
偽りの自分で生きてきて、気がついたときには幼いながらに「死にたい」と思うようになっていました。
年齢を重ね「いい子」と「お利口」の重圧が死にたい気持ちを強くしていき、周りと見比べてばかりでした。
「死にたいなんて思うなんて、わたしは頭がおかしいのかな」「わたしの“普通”は、他人の“普通”と違っているから駄目なんだ」そんな風に自分を全否定して生きていました。
身動きが取れず冷や汗が止まらなくなるほどの刺されるような腹痛や、バットで殴られたような頭痛といった身体症状が徐々にが現れるようになり、気が付いたときには、7歳でうつを発症していました。

【2.居場所を求めた思春期】
「自分は『いい子』『お利口さん』なんかじゃない」「私は、大人たちの都合のいいおもちゃじゃない」中学時代、悪質ないじめや集団暴行、国際差別を受けたことを機に、これまで 抑えていた、様々な感情が感情が限界に達し、爆発した気持ちを吐き出せ安心できる居場所を求め、家出をしました。
夜の世界に染まり、違法薬物やシンナー、アルコール、恋愛への依存・窃盗症・売春・刺青を繰り返し、死にたい気持ちをなんとか落ち着かせていました。
行き場のない怒りや悲しみ、生きづらさから、自身の感情をコントロール出来ず、家族へ暴力・刃物を向け、機能不全家族に陥りました。

【3.迷惑をかけないように必死だったあの頃】
自分を愛せなくなっていた私は、自分自身を傷つけ押さえつけることでなんとか生きているような状態でした。
「生きているだけで人に迷惑をかけている」そう自分を責めて人に迷惑をかけてはならないの一心でした。
でもどんなに注意を払っても、どんなに頑張っても。誰かに迷惑をかけてしまう。
「それはきっと自分が悪い」「もっと気を付けないと、もっと頑張らないと」人の顔色を伺い、必死に生きてきました。

【4.自分を正当化していた強迫観念】
自分を認め愛すことができなかった私は、「◯◯するべき、◯◯しないといけない、◯◯なはず」という強迫観念のような思考に支配されるようになりました。
思考を心のお守りにして自分を正当化しながら、気持ちを落ち着かせてきました。そうすることで苦しくつらい自分をなんとか保って生きてきました。
そうやって過ごしているうちに、自分がどん底にいることに気づいてしまいました。
「こんな自分は死んでしまえばいい」「いなくなってしまえばいいんだ」 自身の精神状態に違和感を感じ、地元の病院をいくつも受診しましたが、社会生活が送れていたことから”異常なし”との診断を受け続け、「自分はおかしい人間だ」と自責の念に駆られました。

【5.心のクリニックの受診】
つらく暗い日々を過ごしている中で、私の状態を聞いた同じ職場の知人から、心のクリニックの受診を勧められました。
まさか自分が心の病にかかっているとは思っていなかった私は、受診するべきか散々悩みました。
幼年期からのことでしたから、自分にとって辛くとも当たり前のことのはずでしたが、受診したクリニックのドクターからうつ病の診断を受け、自分は精神障害を抱えていることを知り、本当の自分を少し理解出来たように感じました。
「自分は、頭がおかしいわけではないんだ」「『死にたい』と思うのは、うつ病だからだったんだ」確かな安堵感を感じたのを覚えています。
しかし、自分自身の取り扱い方がまだ分からなかったため、より強い安心を得るために多量の処方薬に依存したり、孤独感から重度の恋愛依存に陥り、何かに依存することで自分の気持ちを落ち着かせていました。

【6.生きづらさの限界・自殺未遂と自傷行為】
その後、転々と色々な仕事に就きましたが、精神障害を抱えた自分自身を恥じる気持ちから、精神障害であることを隠して働いていました。
「自分は、まわりの人からどう思われているんだろう」「うつ病だと気付かれていないかな・・・」自分を愛せず、強迫観念に駆られていた私は、人と人の関りを恐怖に感じていました。
常にまわりの人の顔色を伺い、ビクビクしながら過ごし、人間関係や仕事のストレスを抱え続けるようになりました。
次第に、全身が重りのようで自由に歩くことも、寝返りをうつことすらできず 、植物状態の重度のうつに陥りました。
「生まれてこなければよかった」「自分には生きる価値がない」「生きててごめんなさい・・・」長年のうつ症状が限界に達し、自殺未遂をしました。
救急搬送され、地元の精神科閉鎖病棟へ入院しましたが、排泄行為もままならず、車いす生活で看護師の介助を受けるも、人権を尊重してもらえず惨めな日々を送りました。
同時期に、有料カウンセラーから金銭的・精神的な裏切りを受け、高額なカウンセリングの現実を思い知らされました。
その後、退院し再就職するも、孤独感や絶望感に度々襲われ、自傷行為を繰り返しました。
全身に刺青を入れ、他人から切りつけられているような痛みで、生きていることを確認したと同時に、その痛みが死にたい気持ちを少しだけ楽にしてくれていました。
それでも死にたくなったときは、過食やオーバードーズ繰り返し、自分を傷つけ生きることを再確認しながら、なんとか生きている状態でした。

【7.どん底から視野が広がったきっかけ】
自殺未遂をするまでに追い込まれながら、どん底の中で思い至ったことがありました。
「どうせ死ねないなら、人に迷惑をかけるだけかけて死のう」「人にどう思われてもいい、嫌われてもいい」「本当の自分をさらけ出そう」「もうどうにでもなれ!どうせ死ぬから!」仕事もお金も肩書も人の信用も。すべてなくなって、自分がゼロになったわたしは、自分の鎧を取っ払ったら開き直ることができました。
開き直る毎日を送っていたら、少しずつ気付けたことがありました。
「もしかしたら、迷惑をかけずに生きることはできないかもしれない」「今まで培ってきた自分の中の常識や決まり、考え方の癖が、自分を苦しめているのかもしれない」少しずつ自分と向き合えるようになり、自分以外のことを理解できるようになっていきました。

【8.頑張らなくても生きていていい】
「うつ病を治すのではなく、焦らずに共に付き合っていこう」「もう頑張るのをやめよう」と決めたら、過去の自分も今の自分も、もう許してあげようと思えるようになりました。
迷惑をかけているのに笑いかけてくれる人。無条件ではないけれど、何度迷惑をかけても、どんな私でも、必ずそばにいてくれる人。気持ちが分からないなりに、寄り添ってくれる人。周りの支えてくれる人たちの存在に気付くことができ、感謝できるようになれました。
「人は、ひとりでは生きていけないんだ」「たくさん迷惑をかけても、生きていていいんだ」「人は、多かれ少なかれ迷惑をかけながらでしか生きていけないんだ」「頑張らなくても、ありのままそのままの私でも、生きていていいんだ」自分中心な考えだけでなく、周りの人たちに支えられながら生きていこうと少しずつ思えるようになれました。
「支えてくれる人たちに感謝をして生きよう」 そう思えるようになれたことで、少しずつ自分を肯定し、許すことができるようになっていきました。
現在は、「自分は生きていていい」「幸せになっていい人間なんだ」と心から思えるほどに快復することができ、自分自身を心から大切に愛してあげられるようになれました。

【9.シェアハウスのような社会復帰支援施設ナルミーランド】
約20年間のうつ病を乗り越えた今、闘病時、「生きてるだけでいい」と身近で無条件に心から寄り添ってくれる人がいなかったこと、必要な時に高額なカウンセリング料を支払うことができなかったことをきっかけに、当時の私のように悩み苦しむ方々へメッセージを伝えていきたいと感じ、心理学を学び、様々な資格を取得、2016年から無料相談活動を行ってきました。
その後、特定非営利活動法人(NPO法人)を経て、現在は、当団体のカウンセラーに、ご相談者の相談対応を一任し、精神科医になるために、日々学びの日々です。
これまでの自身のうつ闘病生活の経験と、心の病を抱えた友人の自殺、また、2016年から100名近くのご相談者とじっくり関わる中で、悩める方々に共通して、最も必要な確信的なものに思い至りました。それは「人と人の信頼的な繋がり」「人との摩擦に慣れていくための環境」「人間の本来持っている自然治癒力を発揮するための居場所」です。そこで、私は、自身の出身地であり、国内最高クラスの大自然がある、宮崎県延岡市ののどかな環境に、利用者ひとりひとりの心の自立を目指す、シェアハウスのような社会復帰支援施設ナルミーランドを創設したいという大きな目標を立てました。
ひとつ屋根の下で一緒に共同生活をしていく仲間や、地元の方々との触れ合いを通じて、人と人の信頼的な繋がりを感じることができます。
ナルミーランドで一緒に暮らす仲間と、嬉しいときもつらいときも同じ時間を共有しながら、問題や課題を思考錯誤して解決し、共に乗り越えていくことができます。
人と人の摩擦を経験しても自身でコントロールしていける方法を自分なりに考えられるようになり、考える力が再び芽生え、「自分でどうにかする思考」に切り替わります。問題解決力が身に付くことで、本来持っている自然治癒力を最大限に期待でき、非常に高い確率で心の快復が見込めると確信しています。
また、ナルミーランドの生活の基本は、農業にあります。自身の母親が所有する畑で様々なお野菜や果物を育て、農業でのできる限りの自給自足の生活を通じ、人間が本来営んできた社会生活の中で快復を目指します。ナルミーランドでの共同生活を通して、利用者の皆さんがくしゃくしゃな笑顔になれる居場所を創ります。
いつか・・・「自分は生きてていい」「幸せになっていい人間なんだ」と心から思えるように・・・

NPO法人ナルミーランド公式ホームページ
http://narumeyland.com/

【保持資格】
うつ病アドバイザー、行動心理士、上級心理カウンセラー、心理カウンセリング1級、コーチング1級、発達障害コミュニケーション初級指導者、青少年ケアストレスカウンセラー、高齢者ケアストレスカウンセラー、企業中間管理職ケアストレスカウンセラー、ピアカウンセラー、医療事務管理士、調剤事務管理士、ホームヘルパー2級、食品衛生責任者